直明さん、さくら、はるじゅんの3人で岩手県遠野市を拠点とする
震災ボランティアの団体 「遠野まごころネット」で活動したときのことを書きます。
写真については、問題があれば削除します。
また、、偉そうなことを書いていますが
ボランティアを「させていただく」 即ち お宅の敷地にあがらせてもらい、
作業をさせていただく
勉強をさせていただく という気持ちを教わって肝に銘じていました。
色々まじめに書いてみましたw
・ボランティアの意義とは?
「千里の道も一歩から」という言葉がある。
この言葉はふだん、地道な協力を続けるボランティアにとって
大きな支えになるはずだが、
今回のボランティアではあまりしっくりこなかった。
それは、地面が陥没し3か月がたっても大部分が冠水する陸前高田の惨状、
海など全く見えないところの商店街に押し寄せた津波で、
ほとんどの店が破壊されたままの釜石の状況をみると、
これが千里というにはあまりに道が険しく、心が折れる状況で、
数十万里にすら感じられるからだった。
しかし、そんな状況でも被災地の人々は家を取り戻し、商売を再び始め、
生計を立てていかなければならない。
作業は大掛かりかつ専門的なもので、
自衛隊や消防・警察、建設業などに従事する人の
需要は本当に大きい。
「そんな中になんの技術もない大学生がやる気だけもってボランティアに行き、がれきの1つや2つを手で運び、お年寄りと話したくらいで自己満足することになんの意味があるのか?」
という意見があり、そう思い参加を自重している人もいたと思う。
しかし、自衛隊や消防・警察は今回の災害の規模の大きさに忙殺されていて、
作業は人命にかかわるもの、大掛かりなものがどうしても優先される。
手がいきとどかない集落や家が本当にたくさんある。
そのような地域で、お年を召した人々が放置されたガレキを撤去し、
再び元の生活を取り戻す
という作業に、意気盛んな力の有り余った若者、
団塊世代の手作業による力は
決して小さくない。
ボランティアの存在が、自分たちの生活を応援するものがいるのだ
という実感に結び付く
ということも実際にあった。
これは6月1日に陸前高田で畑のガレキ整理をさせていただいたお宅の奥さん。
畑にどこかの家が丸ごとがれきとなって流れてきて、
商品としてにんにくなどを育ててきた
畑ががれきに埋まってしまった。
来年から気を取り直して畑を再開したいが、息子も別の場所で働いているし、
行政も緊急度の低い
世帯にも手が回らず難しい状況で、ボランティアを要請されたようだ。
ときどき、こんなつらい出来事は経験した者にしかわからない。
とおっしゃるのだが、
そのあとすぐに ボランティアの人たちの存在がそれだけにありがたい。
とおっしゃっていた。
直明さん、自分を含む数十人のボランティアによって膨大ながれきは少しずつではあるが片付いて行った。この作業が物理的にも、精神的にもこの奥さんを助けられたと信じている。
これは、6月3日に商店の整理のためお邪魔した釜石市の「仏心伝」という仏具店。
http://butusinden.com/ (ネットで営業しているので宣伝しておきますw)
上の写真は午前中いっぱいでかなり片付いた姿で、はじめは床が全く見えない状態だった。
ここの店主さんも、年を召した方で数人での作業では手に負えなかったためボランティアを要請したらしい。
(しかし実際に出動するまでには2週間ほどかかったようで、迅速な対応や人員の確保には課題があるらしい)
上のおくさんと同じような話になるが、とても喜んでくれていた。
もちろん、これからお金の問題、新店舗の問題など、我々の1日の肉体労働とは比べ物にならないような苦労があるはずだ。
しかし、その背中を押してあげる、そのような役割がボランティアは果たしていたのではないかと信じている。
・「学生は5年後、10年後に専門分野で役立つために勉強をすべき」なのか?
このような考えはもっともだと思う。でも、自分は学生には2つの特徴があると思う
1 勉強することが仕事
2 若さという力を持つ。社会人より時間に余裕ある
そのように考えると、ボランティア活動を学生がすることは、
今後の災害のために勉強することと同様に自然なことだと思う。
ただ、専門の力というのが求められていることは確か
あのように破壊されつくした街を見ると、これからマクロ的にどう立て直すのか。
農地の回復は。住宅の場所は。雇用は。政策は。システムは。といったことから、
トラックの運転、調理といった様々な技能まで、知性や経験が求められている。
ボランティアの仕事に踏み出してみることで、自分の力の無さに気付き、長期的にどう役立ちたいかということが見えてくるんじゃないかと私は思った。
・今回の旅を通して
Where there is a will, there is a way.
意志あるところに道がある。 叩けよ、さらば開かれん
自分がどさんこNICEにいて刺激を受けることなのだけど、
何かをやってみたい! もっと色々な人に会いたい、場所に行きたい、本を読みたいという意思
自分を成長させたいという思いが、奇跡的な、偶然な、(必然なw)
一生の経験を与えてくれて
人生を豊かにしてくれるのではないかと。(かっこつけすぎだわw)
直明さんが盛岡のソウルフードを食べよう!といった結果うまいパンに出会ったし、
桜が積極的にはなしたおかげでJICAの人とのみに行けた。
おっちゃんとジンギスカンだって、俺が話しかけなければなかっただろうw
そんなこんなで、ボランティアから帰ってきて1週間がたち
だらくした生活を送っている自分ですが、もう一度ボランティアのことを思い出しつつ
がんばろうと思います!w
今度ボランティアに行く人は、なにかあればちょっとはアドバイスできるかと思います!
東北の地酒も買ってきたので、今度飲みましょう^^
作業雑感
車足りない。がれき捨てれない。
手に負えない、手つかずな部分多い
非効率に最初やってても、だんだんみんな効率的になる
文責 はるじゅん
震災ボランティアの団体 「遠野まごころネット」で活動したときのことを書きます。
写真については、問題があれば削除します。
また、、偉そうなことを書いていますが
ボランティアを「させていただく」 即ち お宅の敷地にあがらせてもらい、
作業をさせていただく
勉強をさせていただく という気持ちを教わって肝に銘じていました。
色々まじめに書いてみましたw
・ボランティアの意義とは?
「千里の道も一歩から」という言葉がある。
この言葉はふだん、地道な協力を続けるボランティアにとって
大きな支えになるはずだが、
今回のボランティアではあまりしっくりこなかった。
それは、地面が陥没し3か月がたっても大部分が冠水する陸前高田の惨状、
海など全く見えないところの商店街に押し寄せた津波で、
ほとんどの店が破壊されたままの釜石の状況をみると、
これが千里というにはあまりに道が険しく、心が折れる状況で、
数十万里にすら感じられるからだった。
しかし、そんな状況でも被災地の人々は家を取り戻し、商売を再び始め、
生計を立てていかなければならない。
作業は大掛かりかつ専門的なもので、
自衛隊や消防・警察、建設業などに従事する人の
需要は本当に大きい。
「そんな中になんの技術もない大学生がやる気だけもってボランティアに行き、がれきの1つや2つを手で運び、お年寄りと話したくらいで自己満足することになんの意味があるのか?」
という意見があり、そう思い参加を自重している人もいたと思う。
しかし、自衛隊や消防・警察は今回の災害の規模の大きさに忙殺されていて、
作業は人命にかかわるもの、大掛かりなものがどうしても優先される。
手がいきとどかない集落や家が本当にたくさんある。
そのような地域で、お年を召した人々が放置されたガレキを撤去し、
再び元の生活を取り戻す
という作業に、意気盛んな力の有り余った若者、
団塊世代の手作業による力は
決して小さくない。
ボランティアの存在が、自分たちの生活を応援するものがいるのだ
という実感に結び付く
ということも実際にあった。
これは6月1日に陸前高田で畑のガレキ整理をさせていただいたお宅の奥さん。
畑にどこかの家が丸ごとがれきとなって流れてきて、
商品としてにんにくなどを育ててきた
畑ががれきに埋まってしまった。
来年から気を取り直して畑を再開したいが、息子も別の場所で働いているし、
行政も緊急度の低い
世帯にも手が回らず難しい状況で、ボランティアを要請されたようだ。
ときどき、こんなつらい出来事は経験した者にしかわからない。
とおっしゃるのだが、
そのあとすぐに ボランティアの人たちの存在がそれだけにありがたい。
とおっしゃっていた。
直明さん、自分を含む数十人のボランティアによって膨大ながれきは少しずつではあるが片付いて行った。この作業が物理的にも、精神的にもこの奥さんを助けられたと信じている。
これは、6月3日に商店の整理のためお邪魔した釜石市の「仏心伝」という仏具店。
http://butusinden.com/ (ネットで営業しているので宣伝しておきますw)
上の写真は午前中いっぱいでかなり片付いた姿で、はじめは床が全く見えない状態だった。
ここの店主さんも、年を召した方で数人での作業では手に負えなかったためボランティアを要請したらしい。
(しかし実際に出動するまでには2週間ほどかかったようで、迅速な対応や人員の確保には課題があるらしい)
上のおくさんと同じような話になるが、とても喜んでくれていた。
もちろん、これからお金の問題、新店舗の問題など、我々の1日の肉体労働とは比べ物にならないような苦労があるはずだ。
しかし、その背中を押してあげる、そのような役割がボランティアは果たしていたのではないかと信じている。
・「学生は5年後、10年後に専門分野で役立つために勉強をすべき」なのか?
このような考えはもっともだと思う。でも、自分は学生には2つの特徴があると思う
1 勉強することが仕事
2 若さという力を持つ。社会人より時間に余裕ある
そのように考えると、ボランティア活動を学生がすることは、
今後の災害のために勉強することと同様に自然なことだと思う。
ただ、専門の力というのが求められていることは確か
あのように破壊されつくした街を見ると、これからマクロ的にどう立て直すのか。
農地の回復は。住宅の場所は。雇用は。政策は。システムは。といったことから、
トラックの運転、調理といった様々な技能まで、知性や経験が求められている。
ボランティアの仕事に踏み出してみることで、自分の力の無さに気付き、長期的にどう役立ちたいかということが見えてくるんじゃないかと私は思った。
・今回の旅を通して
Where there is a will, there is a way.
意志あるところに道がある。 叩けよ、さらば開かれん
自分がどさんこNICEにいて刺激を受けることなのだけど、
何かをやってみたい! もっと色々な人に会いたい、場所に行きたい、本を読みたいという意思
自分を成長させたいという思いが、奇跡的な、偶然な、(必然なw)
一生の経験を与えてくれて
人生を豊かにしてくれるのではないかと。(かっこつけすぎだわw)
直明さんが盛岡のソウルフードを食べよう!といった結果うまいパンに出会ったし、
桜が積極的にはなしたおかげでJICAの人とのみに行けた。
おっちゃんとジンギスカンだって、俺が話しかけなければなかっただろうw
そんなこんなで、ボランティアから帰ってきて1週間がたち
だらくした生活を送っている自分ですが、もう一度ボランティアのことを思い出しつつ
がんばろうと思います!w
今度ボランティアに行く人は、なにかあればちょっとはアドバイスできるかと思います!
東北の地酒も買ってきたので、今度飲みましょう^^
作業雑感
車足りない。がれき捨てれない。
手に負えない、手つかずな部分多い
非効率に最初やってても、だんだんみんな効率的になる
文責 はるじゅん
「ボランティアの仕事に踏み出してみることで、自分の力の無さに気付き、長期的にどう役立ちたいかということが見えてくるんじゃないか」ってとこまじうなずける。こういう体験って、今の自分に何が足りないのかって自覚するためのものでもあるよな。日々何もしないでいると、足りないことなんて見えてこないしね。by直明
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