2011年5月29日日曜日

おむすび

最近いろんな人がブログをアップしてくれて嬉しいです。


それはそうと、今日驚いたことがありました。

ぶらっとおむすび屋さん「きゅうさん」(http://www.satsubei.co.jp/omusubi.html  札幌市東区北9東1)に立ち寄ったんですよ。

ここは、おむすびと団子が売っていて、クオリティが高いので重宝してまして。

たまに天気がいい日とか、ここで買った団子を歩いて食べながら俳句を考えたりしますからね(笑)

いや、まじで。団子を持つのと持たないとでは俳句の出来が違いますよw

と、話がずれてきましたが、本題に戻します。


お店に入って、前に並んでいる家族のお子さんをみながらニヤニヤしていました。

わけもなくガラス戸に体をぶつけて遊ぶとか、子どもは意味わかんなくて面白いなぁ。素晴らしい。

そんなことを考えながら、自分の番になり、注文をし、番号札をもらいました。

待っているとき暇だったので店内を見渡すと、一枚の写真が目に入りました。

「谷さんのもち米・・・・士別市・・・・・ん?」

いや、まさかなと思ったんですが、まさかでした。




この谷さんは、どさんこNICEが週末ワークキャンプでお世話になっている農家さんです。

お世話になっているなんて言葉だけでは表現しきれないんですが、とてもどさんこNICEと関係が深いお方です。


その人のとてもいい笑顔がお店で見えるとはびっくりしましたよ。

思わず赤飯むすびを追加注文してしまいました。

もちろんのこと、おいしかった!

もしみなさんこのお店による機会があればぜひ赤飯を食べてみてください。もちもちです。

2011年5月27日金曜日

アフガニスタンと旅あるある発言と文化人類学的視点

 この前、ぺシャワール会代表・中村哲さんの講演を聞いてきた。
ペシャワール会(http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/)とは、日本人医師中村哲さんを中心に活動するNGOで、元々名前の通り、パキスタン・ペシャワールを拠点を活動していたが、治安の悪化により、現在はアフガニスタン・ジャララバードを拠点としている。自らアフガニスタンに入り医療活動を行い、また不毛な大地と付き合い大幅な食糧生産増産に貢献している、中村哲さんは、前々からとても尊敬していたし、講演を最も聞いてみたい方の一人であったので、札幌に来られたことに感謝している。
 それにしてもすごい集客力だった。エルプラの大きいホールで立ち見の方もいたし、資料は全く足りないほどだ。学生ちっくな人も多かったけど、中村さんの同世代の年配の方がとても多かった。
 
今回の講演で特に心に残ったことというと、、、
・自然との付き合い、人との付き合い
 中村さんは、アフガニスタンの過酷な自然の中、長い間かけて不毛の大地を食糧生産ができる緑豊かな農地にされてきた。異常気象や洪水、様々な問題がたちはだかり、相当辛抱強くここまで来られたのかなと感じた。肝に命じられていたことは、常に「想定外のことが起こるという想定」をするということ。だから何が起こっても決してめげずに対処されてきたのではないか
 また、アフガニスタンでは人とのトラブル、悲しいことも多かったらしい。それでも、絶対に人を大切にする、裏切られても自分は絶対に裏切り返さない。この精神こそ、リーダーとして有るべき姿なのだろう。現地で絶大の信頼を持たれている中村さんの言葉は本当に説得性が強かった。
・何にでも好奇心を持ち、何でも何かの拍子で自分に役立つ可能性を秘めているということ
 洪水で橋が壊れてしまった時、増水して水があふれてしまった時、中村さんはアフガニスタンの川で、出身の福岡県で子どもの時よく遊んでいた筑後川の水門のシステムのアイデアを採用して実践されたそうだ。子どものころよく目にしていて疑問にもっていたのがきっかけだそうだ。このエピソードはかなりドラマチックで感動してしまった。今無意味に思えることでも将来何かの拍子で生きるかもしれない。だから何にでも好奇心を持ち、学ぶ姿勢というのを持ち続けたい。
 
 思い返すとたくさんあるのだが、特に聞いて良かったなと思うところを。
ある人が質問で、タリバンについて中村さんはどう思いますか?意見を聞きたいです。
というようなことを聞いた。
 これは良くない、とかこうあるべきといった中村さんの持論があるのかなと思っていたが、中村さんは、自分たちの価値観で他のことを決めるのは良くないし、タリバンのやり方に問題があるとか、アフガンにおける女性への扱いが悪いとかは決められないと仰っていたところに強く好感を持った。
 そもそもタリバンというのは、アフガニスタンの慣習法を強く尊重している聖戦士たちの集まりであり根は誠実なのだ。このことは「カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち 山本芳幸著」を読んで深く学んだことなのだが、中村さんも同じようなことを言われていた。ちなみに上の本はめちゃくちゃお勧めだ。そしてアフガニスタン人は、外国人の干渉を強く嫌うというきらいがあるという。そして、タリバンはやりすぎだというアフガン人の声は多いそうだ。
 少し話がそれたが、中村さんが文化人類学でいう「文化相対主義」的考え方を持ち合わせながら行動を起こされてれているところに、さらに尊敬の念を持った。
 ということで、今回の講演は今までの中でも大変有意義すぎた。何を聞く時でも、相手がどんなに有名で、どんなに権威がある人でも、常に批判精神を持って聞くことを心がけているが、今回は純粋に感心させられてしまった。わざわざ札幌までお越しいただいて貴重なお話を頂いて感謝している。
 
「文化相対主義」とは簡潔に言うと、民族の生活様式そのものを文化として捉え、その独自性と尊厳を認める立場のことである。しばしば、発展途上国における国際協力活動において、開発経済学の立場と文化人類学のこの立場でもめることがあり、今まさに開発経済学と文化人類学両方を勉強している僕にとってはここは最も興味深いところである。ちなみに僕は文化相対主義という考え方を強く尊重したいと今は考えている立場である。実際フィールドに出ないとわからないことは多いと思うけれど。
この対立の非常に興味深い例がこれである。ここでは中央アフリカ・コンゴ民主共和国が舞台となっている。興味がある人は是非。
 
 そして、文化人類学に絡んだ旅あるある。文学部の文化人類学の授業で知った話だ。
 よく、発展途上国などでボランティアなどをしてきた若者が、「子どもたちがかわいかった!!!!」とか「彼らは貧しいけど目が輝いていて幸せそうだ!!!!」というようなことを言っている。この手の言葉はよく聞く話なのではないか。どさんこNICEの説明会とかでいろいろ体験談を聞いていても、よくいろんな人が言っていた。
 挙句の果てに「それに比べて日本の子どもは暗い」だとか不条理な偏見で喋る人もたまにいる。これは論外だとして、上のような発言は文化人類学的に説明できるのだ。最近この理論を学んでなかなか面白かったのだ。
 文化進化論という理論の比較法という考え方なのだが、「欧米(先進国)の過去の姿=未開(開発途上国等)の現在の姿」というように思いこんでいて、野蛮→未開→文明という一連の流れでどこも成長するのだという進歩の尺度を持つ考え方。つまり最も簡潔に言えば、人類の同一性を確信しているということだ。
 そして本題の、先程の「発展途上国でよく聞く発言」も、この比較法によって説明すると、これは、過去の自分たちと一致していて今の自分たちと比べているのだそうだ。自分たちの国の人もも昔はこのようだったに違いない!という発想なのだそう。もちろん、上のような発言をする人たちが実際そんなことを想像したり思っているとは思いにくいが、どこか考え方の習性としてそういう性質を心のどこかに持ち合わせているのだろう。
 別にこの考え方が悪い!とかいうわけじゃないし別にそんなこと思っていない。むしろ人間って面白いのだなと思った。
 そして、この考え方と反対の考え方が文化相対主義なのだ!!!!!つながった…はず。
野蛮→未開→文明という「進歩」ではなく、それぞれ「相違」があるだけということだ。
 
 旅一つとっても深いんです。

2011年5月25日水曜日

震災を受けた取り組み ビジネス編


はるじゅんです。今日はミーティングいけなくて残念!

今日は震災を受けた社会的ビジネス的な取り組みで、自分が気になっているものを取り上げます。

① セキュリテ被災地応援ファンド
http://oen.securite.jp/

5月24日朝日新聞でも紹介されていましたが、

震災から復興し再度の開業を目指す、
高い志と計画を持った被災地の商店主たち
(ふかひれ加工業者、製麺、水産問屋など)
の資金調達を目的とした投資ファンドです!

1口1万円から投資でき、数年後に経営が軌道に乗った場合には
配当もかえってくるというこのファンド
募金と違い、自分が魅力を感じた業者に直接投資できるそうです。

いま自分もやってみようかと思ってます!誰かいっしょにやりませんか??

②Cash for Work Japan
http://cfwjapan.com/home/

被災地でのボランティア、被災者に賃金を払いながらやってもらえばいいのに。。。
そんなことを考えたことはありませんか?僕はあります!笑

このプロジェクトでは被災者に復興作業を賃金を払って行ってもらうことで
被災者が生きがいを取り戻し、復興を進め、経済をも活性化させる
という狙いがあります。

バラ色の計画に見えるのですが、これがこれから100%の効果を出すのか、
どのような問題が出てくるのかということも含めて興味がありますね!


5月30日夜~6月4日朝の日程で
岩手県にボランティアに直明さんと行ってきます。詳細はBLOGにアップ予定です!

はるた

2011年5月24日火曜日

プランニング開

今日、桜ちゃんが言ってた、新田新一郎さんのHPをUPしておきます。


今後つながっていったら楽しみですね!


http://kikaku-blog.p-kai.com/?cid=49436



2011年5月22日日曜日

5月26日説明会の告知です!

こんにちは。春田です。

今日は5月のどさんこNICE説明会の告知です!

日時:5月26日(木) 18時30分~

場所:北海道大学教養棟 E202

今回も国際ワークキャンプの説明だけでなく、
実際にワークキャンプに参加してきた方々の体験談を予定しています!
途中参加・退出も大歓迎ですのでお楽しみに!!

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どさんこNICE外の人もたくさん見てくれてるのかな??
もし見てたらブログにぜひコメントください笑

なおあきさんの内田樹レビューみんな見ましたか?
自分も内田本はどれも好きなんですが、
いわゆるタツラー的論陣をはる学者・経済人・有識者も今かなり増えてます。
新自由主義的経済論への批判という面では強い共通点があると思います。

ぜひ読んでみてください。。
はるじゅん

2011年5月18日水曜日

町づくりを考える。教育から2。


長いです。ブログってレベルじゃないです。


今回は内田樹さんの「下流志向」を読んでの感想です。この本は俺の人生を変えた本と言っても過言ではない本で、読んでから「たつらー」(ググってください)一直線でした。マジでこの本はお勧めで、教育者だけでなく、すべての人に読んでもらいたい本です。特にみなさんは将来親になるでしょうし(少なくとも僕より可能性は高いと思うので())ぜったい読んでおいて損はないです。
前回は教育と言うよりか町づくりに重きを置きましたが、今回は教育について重きを置いています。と言うより、教育についてのことばかり書いて最後に無理やり町づくりの話につなげるので、こうご期待を()
あとですね、ブログに載せる上で本の内容を短く切り取っているので、論理を結構飛ばして書いていてわかりづらいところが多くあると思います。それは、この本がわかりにくいのではなく、僕の文章がわかりにくいということなので、よくわからんと思ったら本を読んで下さい。
それでは、はじまりはじまり。


「下流志向」(内田樹 著)を読んで

「なぜこんなことを勉強しないといけないのか?」
「これを学んで意味あるんですか?」
「やっぱ役に立つことを学ばないとな。」

などなど、みなさんの周りで言っている人はいませんか?もしくは一度は自分で言ったことはありませんか?もちろん僕はあります。

これらの言葉は誰もが思って言ってしまう言葉だと思っていませんか。しかし、歴史的に見るとごく最近生まれた問いなのです。そして、この言葉を発する人は、自分でも気がつかないうちに「学び」から逃走している。つまり、もしあなた方(俺を含め)がこれら問いを発しているとしたら、気づかないうちに学ぶことから逃げていることになります。

いきなりそんなこと言われても、と思うでしょう。では、いったいどういうことか。
現代人が学びから逃げていっている、その理路について話していきます。


学びからの逃走の原因は主に二つあります。
一つは、教育を経済の原理で考えるようになったこと。
もう一つは、自己決定・自己責任を実践する人が日本のロールモデルになったこと。
まず、上の一つから説明します。

まずここで言う、経済原理とは何か。しっかりと説明すると長くなるので、経済原理の特徴を二つだけ書きます。どちらも消費者側の目線です。

まず「等価交換」。自分の中のお金の価値と商品の価値を比較して、商品の価値が支払うべきお金と同じ(もしくはそれ以上)の価値を持っていればそれらを交換しますよね。あの交換のことだと思ってください。ここで重要な点は、消費者が商品の価値を知っていなければならない、と言うことです。商品の価値がわからないものをお金出して買いませんよね。

次に「無時間モデル」。お金を支払って、商品を手に入れるまでの時間が(ほぼ)ゼロ(もしくはマイナス)でなければいけない。お金を支払ってから三日後に商品が手に入るって嫌じゃないですか。輸送などで高い商品を買うならまだしも、自分が食べたいものが三日後に手に入るって嫌ですよね。今チョコレートが食べたい。お金を払った。「それでは、三日後にとりに来てください」。俺は嫌だ()。消費者はお金を払い商品が手に入るまでの時間を小さくしたい(最近では逆に商品が届いてからお金を払うとかありますよね)、だから経済は需要にこたえるため交換の時間をゼロに近づけていく。交換の時間がゼロの形式を無時間モデルです。

理由は後で書きますが、日本ではこれら二つの特徴を持つ経済原理が社会に浸透し、この原理で教育を考えるようになってきました。

そして、経済原理で教育を考えることになるとどうなるでしょうか。教育が成り立たなくなります。なぜなら教育の本質は経済原理と相容れないものだからです。

教育の本質の一つは、教育を受けることによって、学んだことの価値を知る主体に育てることにあります。学んでいる最中はその価値を知りません。学び終わってやっと価値を知ります。「価値のわからないもの」を「時間をかけて」受け取る。考えてみてください。中学生が連立方程式を学ぶ意味を、高校生が微分積分を学ぶ意味を知っていると思いますか。しかし、彼らは価値がわからないまま学び続け、研究者になった時初めてその価値を知るでしょう。ああ研究が楽しい。意味が分からなかったけど、中学、高校と数学を投げ出さず勉強してきてよかった。ありがとう。と彼らはきっと呟きます。本来教育とはこういうものでしょう。

しかし、経済原理で教育を考えてしまうと、価値のわからない教育なんかに対価を支払わなくなる。時間がたてば意味が分かると想像もできない。教育サービスを売ろうとしてくる教師たち、それを値踏みする自分達、と言うモデルで教育を考え、「そんなもん買うわけねーだろ」と学ぶことを投げ捨てる。こうして学びから逃走する子どもたちが現れてきました。

ではなぜ、教育を経済原理で考えるようになったか、ごくごくざっくり書きます。
それは、家での労働が無くなり、社会活動が「労働」からではなく「消費」から始まるようになったからです。
昔は子どもでも家で手伝うことがたくさんありました。家でのお手伝い(労働)をして、そして褒められる。そうして、主体が形成されてきました。まずやって、それから価値を得るといったモデルです。しかし今では、家での労働がなくなりました。親や祖父母からお小遣いをもらった子どもたちは買い物をする。お金を払い、商品を得る。という経済原理の中で主体が形成されるようになりました。こうして、教育(学校の授業など)さえも経済原理で捉える子どもたちの出来上がったわけです。


長くなってきましたがまだまだ続きます。学ぶことから逃げる理由の二つ目の理由の前にちょっと閑話休題。


この本を読んでから自分を省みました。
実学などは今でも価値を知っているもので、そういった役に立つと知っているものばかり学ぼうとしていました。世の中の価値についてもうだいたいのことは知っていると思っていました。意味がないもの学んだってしょうがねーよとさえ思っていました。それを今はすごく反省。マジで馬鹿だった。

考えてみたら二十そこそこの自分が世の中について詳しい訳がない。すごく価値があって今の自分では理解できないことがこの世界にはたくさんある。絶対。

僕のようなやつを大人から見たら、ゲームしか楽しいことを知らない子どもみたいなものに見えるんだろうな。ゲームばかりしている子どもは「勉強楽しいぞ」と言ってきた大人に対して、「えー、そんなのいいからゲームやりたーい」と返しますよね。大人としては、子どもがそのゲームの知識に詳しくなるより、世の中にはもっと楽しいことがたくさんあることを知ってもらいたい。

今まで、勉強をしろと言ってくれた人たちに本当に感謝。

実際、ゲームよりも楽しいことはいくらでもあった。学んできてよかった。


それでは、学びからの逃走の二つ目の理由。

「自分で決定して、それについては自分で責任を持つ。」
うん。なんかたくましさと自信を感じかっこいい感じがする。
しかしそれが危険なんです。なぜか?

まず自己決定・自己責任は平等ではないからです。自己決定・自己責任と切っては切り離せないものとして能力主義があります。努力したものは階層上昇を果たし、努力しなかったものは社会下層に頽落していく、という考え方です。一見フェアに見えますが、そうではない。能力主義が教育の投資額もそうですが、勉強への信憑が違う。能力主義がフェアであるのは、「努力する動機づけ」が万人に平等に賦与されている限りにおいてです。

中~上流層の家庭に育った子どもは勉強をしていれば、そういった社会的地位を手に入れることができると信じていられます。親に勉強しなさい、したほうが良いと言われたら説得力があります。しかし、下流層の子どもたちはそうではない。勉強をしろと言われても、して意味があるのかわからない、信用できない。家庭内の空気のようなものなので数値で測ることはできないが、必ず信憑の差が出てくるでしょう。

勉強をした分成果が出るわけではないですが、成果が出る可能性は増えますよね。その可能性を信じられる中~上流層の子は勉強をし、信じられない下流層は勉強をあまりしない(ある程度だけする)。ある程度だけ勉強をしても成果が出る可能性はすくなくなります。そして、勉強しても意味がなかったとさらに勉強すること、努力することの信憑を低くしていきます。こうしてどんどん格差が広がっていきます。

次に、これらの自己決定・自己責任が善だと考えられる世の中で育った子どもは、自分で決定し自分で責任を負うことに満足感を得ます。では何を選び取るか(決定するか)。それは勉強をしないこと。なぜなら、所属する集団の価値観に同一化できるからです。ここは少しわかりにくいのですが、子どもは自分が所属する集団(下流層)の中での価値観に同一化する、つまりその集団内での大人によく思われることを目指すと思いませんか。下流層では勉強への信憑が低いので、その集団内の子どもは勉強をしないことで大人の評価を得ようとする。つまり下流層の子どもは勉強をしないことから達成感を得ようと学ぶことをやめる。

さらに、自己決定・自己責任が美だと叫ばれる社会ではリスクが増えるんですよ。
自己決定・自己責任を価値に置く人は、孤立します。誰にも影響を受けず、自分で決めたんだ。たとえ失敗しても自分で責任追うからいいだろ。「迷惑かけないから、ほっといてくれ」となります。
迷惑をかけあえる仲間がいれば、失敗しても致命傷にはならない。また挑戦できる。成功する可能性は減るかもしれないが、どうにもならなくなる可能性も減る。リスクヘッジができる。しかし、孤立してしまった人はリスクヘッジできない。一度失敗したら終わり。もう挑戦できない。
普通に生きていれば失敗するかもしれない場に出くわしますよね。就職できないとか。たとえば、俺留年したんですけど、うちの親に余裕がなければ大学を辞めざる得なくなっていたかもしれない。もし親が、お前が選んだ道なら失敗しても自分で責任とれよと俺を突っ放していたらどうにもならなかったと思います。今頃アルバイトで必死に食いつないでいるでしょう。

自己決定・自己責任を美だとし、それを自ら選びとって生きる人が増えれば、失敗して立ち直れない人が増えて、下流層増えるわけです。自己決定・自己責任が国が掲げるロールモデルとしてアナウンスされる限り、
下流層は学ばない。
下流層が増えていく。

つまり、学ばない子どもが増えていくわけです。


またも閑話休題。
自分で選んだ道で失敗するなら悔やまないさ、とかっこいい言葉に騙されてはいけないっすよ。その言葉がもてはやされることで社会の構造的に弱者が増えていますからね。

振り返ってみてほしいのですが、大学生なら学費や仕送りなど親からお金をもらっている人が大半でしょう。それだけ親に迷惑をかけといて、自分は誰にも迷惑をかけないから、俺に迷惑をかけないでくれとは言えなくないですか。

自分が親に迷惑をかけた分は働いて返すだとか、親から受けた分は同じだけ子どもに与えると考えたりしますよね。あれをもっと延長しようって話です。

自分が失敗してもどうにかなっているのはほかの人に助けられているってことだから、ほかの人が失敗したときは自分がお世話するようにしたいものですね。逆に、自分が迷惑をかけられて、「気にすんな」と言ってあげたやつは自分が失敗したとき助けてくれそうですよね。

一度失敗したら終わりだなんて殺伐とした社会では暮らしたくないです。


本題に戻って、
以上二つの理由で、学びからの逃走が起こっていると言えるんですよ。今の日本やばいから気をつけろ!って内容の本でした。しかし、これだけ書いてもかなりの理路をはしょっていてわかりにくいと思うので、少しでも興味を持ったらこの本を読んでみてください。


そして最後に無理やり町づくりにつなげます。

当たり前ですが、町をつくる重要な要素として、住民がいます。そこに住む人たちが、今自分の知る価値しか認めない人たちばかりなら、自分で責任を負うからほっといてくれと言う人たちばかりなら、住みづらいですよね。そして、そこで生まれてくる子どもたちがかわいそうです。町に住む自分たちも町の空気を作っていることを自覚して、住みやすい町にしていきたいものですね。

夢を追って、リスクを背負って、成功して、日本(世界)を変えた!だの華やかな人ばかりが憧れられて、みんながそう目指す。そういう人たちがいても構わないんですが(と言うか、いて欲しいのですが)、同じように道路の修復や雪かきをしている人たちがいないと世界は成り立っていかないですよね。誰にも憧れられることなく僕らが見えないところで雪かきをしてくれている人たちに敬意をもっと持ってもいいと思うわけです。

精神的な話になってきたんですが、夢を持って頑張っている人を認めながら、雪かきをしてくれる人にも敬意を払う。お互い迷惑をかけあうことを苦としない。住民がそんな風に思っていたら、その町はとても住み心地の良い、いい町になりそうじゃないですか。

まず自分から、次に自分の周りで、こういう空気を作る。それも一つの町づくりかなと。

なんで、将来仕事なくしてどうしようもなくなったら岡山に来てください。寝るとこと食べるものくらいは用意できると思います。あと、俺が職なくしてたらお世話お願いします()

2011年5月14日土曜日

BIGBAND北極 観戦

われらがつっちーとちさとの所属する

BIGBAND北極の

ライブに行ってきました!!

結論から言うと
・つっちーがソロで大活躍
・ちさとのソロかっこいい
・一体感ハンパない
・みんな輝いてる ステージを楽しんでる
・メンバー数人卒業ライブでむねあつ
・ス○オカくん超イケメン
・学祭でも日曜にライブやるらしい、みんな行こう

以上ですw言葉にできませんw
ということで、南10条まで見に行って
本当によかったなという
本気さが伝わってきてアツくなりました!

第2部ではつっちーがOrange Expressという曲で
主役?的な大活躍でした!






         どや!




ありがとうつっちー

「世界一のカレー」と「世界一の豚汁」と「仕事ができる奴」

  
 ちょっと奈良、帰省自慢でもしたいなと思います!
 てかどさんこNICE全く関係ないやん!まあたまには良いか。
 カレーが大好物である。今まで、色々な所、場面でカレーを食べてきた。インド料理屋も数えきれないくらいいったし、札幌に住んでからスープカレーも大好物である。大学一年の時訪れたネパールでも最高なカレーを食べまくった。どれも感慨深く忘れられない。自分で自炊で作るカレーもそこそこ気に入っている。実家のカレーもやはりおいしくて懐かしい。かの有名なイチローの奥さんが作るイチローカレーも美味そう。しかし、それでもどうしても、僕がどこで如何なるカレーを食べたとしても、絶対に勝てないカレーというものがある。


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一枚目の写真です。奈良に帰省する際の何よりの楽しみです。このカレーを食べるために帰省すると言っても過言ではないです。奈良が大好きな面がたくさんあるがこれが何よりの奈良の誇りなんです!

カレー屋マナビアン
奈良県奈良市西大寺東町2-1-49

近鉄大和西大寺駅、北出口より、徒歩3分。

大和西大寺駅から229m

 

《欧州航路客船で料理長をしていた父から秘伝のカレー作りをベースに、熟考を重ねて開発しました。食品添加物などは一切使わず、塩と動物性の脂を極力省き、深いコクと1週間以上かけて仕込む完全手作りの「本物」のカレーは、マニアは勿論プロも唸らせます。その深いコクと風味を是非御賞味下さい》《小麦粉から木ベラで丁寧に煎り上げるルーと、牛肉と香味野菜から3昼夜かけて作ったスープを合わせ、1週間以上かけて仕上げるカレーソースはまさに絶品!》(「e-boshuu! 奈良」の同店紹介サイト)

 本当に、こんなに美味いカレーは世界中まわっても絶対ここにしかない、自信を持って言いきれるほどです。小学生の時初めて食べた時の衝撃が忘れられません。ちなみにその時は僕が住んでいたマンションのすぐ近くにあって、その時たまたま近くに住んでいた縁に感謝したい。ちなみに上の説明である「父」は、なんとあの札幌グランドホテルのオープン時のレストランのメニューを作られたそう。すごい…。店長が教えてくれた。店長と言ってもここは今は2人でまわしている。そしてめちゃめちゃおいしいのに、他の店舗をつくったり大きくしたりせず、長年いぶし銀のいように飾らないでかつどっしりと構えているところがまた魅力的だ。騙されたと思って、奈良に行く機会があれば是非訪れてみてください。ちなみに僕はいつも、辛口で、「大盛り」+「ルー大盛り」でオーダーします♪

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 そして2枚目、がびっくりするほど美味しい豚汁です。これは新日本海フェリーのレストラン。去年アルバイトで働いていたこともあり、レストランに行けば食事を無料でサービスしてくれるんです。新日本海フェリーのレストランでは料理は調理師の資格を持ったプロしかできずアルバイトはいません。ここの凄いところは、「豚汁」「グラタン」「肉じゃが」など「ふつう」な料理名の料理をあまりにも美味しく作るところです!変わった調味料等をふんだんに使用したインドカレーよりよっぽどすごいと思う。その中でも豚汁が何より絶品である。これも帰省のときのささやかな楽しみなんです。
  キッチンのチーフ。八月繁忙期で完璧にキッチンをまわす姿は本当に凄かった。尊敬する。どんな仕事を選ぶかという以前に、仕事ができる人間になりたいと強く思うこの頃。
 するとつい思い出すことがある。この間四月説明会後のどさんこNICEのメンバーで僕の家で飲んでいた時のことで気になっていたことだ。としさん、なおあきさん、まさこさんの会話で、僕は知らない人だが、別のサークルの先輩の話をしていた。
「〜さんは、仕事めっちゃできるしとても優秀だけど、人間的に全く尊敬できない」みたいのことでみんな一致していた。
 「仕事ができる人」というのは何かしら人間的に優れているところがあると思う。少なくとも今までの僕の経験ではそうだった。バイト先等で真に「仕事ができる人」からは、本当に学ぶことが多かった。別にバイトや仕事じゃなくても、サークルや友達関係でも「できる人・動ける人」は何かしら人と違うものを持っている。仕事できるけどちょっと性格が個人的に合わないとかいうレベルならわかるけど、人間性を否定するのはどうかと。
 「良い人なんていくらでもいるの。」←だいぶ昔のドラマ「美女か野獣」での松島菜々子の名言笑。僕は今はまだここまでとがったことを言う勇気がないし、言える立場でもないけど、正直なところ、「性格的に人受けが良くて一般的にまわりから良い人と思われているけど、仕事ができない・動けない」人より、「少々とがったとこがあるけど、仕事ができる、動ける」人の方がよっぽど優れてると思うし僕は好きだ。こんなふうに人を2つに分けて定義していることはあんまり現実的じゃないけど。でもだいたい「仕事ができる」人というのは何をやらしてもそつがないのだ。効率的だし行動力がある。極論、「仕事ができる人」と「仕事ができない人」に分けられるのではないか。集団の定理というのがある。一集団を100とすれば、その中で、20が、自分から主体的に動き優れた業績を残し、60が、育成や他者からに働きかけによって変わり、残りの20はどう働きかけても動けない、能力のない者たちらしい。これは今日たまたま読んだ本に書いていたことだ。
 
 なんか、わけわからんくらいそれてしまったし、やたら固いし、なんかやたら上から目線(笑)なことを書いてしまった感があるけど、別に上から目線じゃないんです。ようは自分が、何するにしろ「仕事ができる人」になりたいな〜て最近思うってことです笑
 最近、フェリーのチーフにしろ、カメラマンの先輩にしろ、人間的に、すげー!って思ったことが多かったんですよね!


 

 

2011年5月9日月曜日

ライブ告知

 こんばんわ。お久しぶりです!一昨日のヒクサン新歓、行けなくて本当すいませんでした。えりかちゃん説明お疲れ様です!まさかの風邪です。めったに体調崩さないタイプなので自分でも不覚です。4月の説明会の報告…ではなく宣伝をさせてください。次のミーティングで4月の反省、5月の説明会について決めましょう。冒険心溢れる1年生が来るのが楽しみですね♪
 
2011年5月14日(土)

BIGBAND HOKKYOKU LIVE vol.�

場所:札幌市中央区南10条西1丁目1-50 ヤマハセンター2F 多目的スタジオ「フィールズ」

交通:地下鉄南北線 中島公園駅下車 徒歩3分 駐車場あり(有料)

開場:17:30〜

開演:18:00

チケット(当日/前売):500円
 
僕とちさとちゃんがこのライブに出るので、空いている人は是非来てくださいね!!!